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2013年5月23日木曜日

音もでないのに

マイマスターにも,生意気に訴えたことがある。
「いろいろ考えてやってます」「理解してます」。。。

大学生くらいの,20代前半位だったかのマイ弁だ。

マイマスター曰,
『そしたらそんな音がでるはずだよ♪』
『音楽を感じてればね』
穴があれば入りたい思いだったってコトを,恥ずかしい思いと共に,思い出す。

生意気にも,学生オケでの議論では,「一生懸命」とか嫌って論破しようとしてみたり,,こんなことは20代で卒業したやり取りだ。


音楽では,「〜〜してる・やってる・つもり」って台詞が最も虚しく響く。
『思ってないし,感じてないから,音が出ない』,,ですよねっ♪。

音もでないのに
「やってます」って無意味だなぁ。。。

そんな風に弾けないって,,それは弾く気がないからね。
そもそも「どんな風?」ってのも,疑問だったり。要するに,「それなりに実行しようと思っている」ということは,やろうとはしていないということで,そんな気持ちを分かって欲しいっていってるのは,「何を」となるのである。分かったら,,,もう諦めるね,付き合いも,伝えようとする努力も,知識も,技術も。 そうかつまり,そんなものは要らないって宣言でもあるのか。なるほど。
結論的に,
 「思い」はあるが,「できない」=「やらない」

これは知識が身体化する態度教育でも同じ。身体化された知識は,考えずとも行動で出てくる,または臨機応変にカラダが対応しようとする。身体化されていない動作を,いくら考えて実行してみても,ぎこちなく,結果できない・やらないとなるのである。イチロウが昔のインタビューでも話していた,「カラダが自然に対応していることを,頭で認識できていないので,その結果カラダの動きと考えていることがずれている,,だから・・・」。身体化された故のズレであり,つまり身体化されていれば,逆のことが起こるのである。

身体化には意志・忍耐・工夫が必要>>身体化された後に,知識との葛藤が始まる>>そしてより良く改良できる

となる。これは,音を出す,楽器を弾くという動作でも同じ。
「音楽は,こころや気持ちで弾く・奏でるものだ」なんて説明は,演奏動作が一定に身体化された後のことである。
つまり,「身体化もしおらず音もでないのに」が正しい説明だろうか。

身体化をサボっているのに,「気持ちだけは」とは,なんだろうか。